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일제하 조선의 농정 입법과 통계에 대한 지식국가론적 해석 : 제국 지식체계의 이식과 변용을 중심으로

연구 요약

연구 요지 (AI)
일제하 조선의 농정 입법과 통계가 농업 통치에 미친 영향을 해석했다.
초록
日帝植民地下の朝鮮における農政立法および統計に対する知識国家論的解釈 - 帝国における知識体系の移植と変容を中心に - ソウル大学校 社会学科大学院 金仁洙 本研究は、“植民地の朝鮮における農政が1930年代に入り、なぜ急速に安定化したのか”という疑問より始まった。1920年代に山火事の如く燃え広がった急進的な小作争議は、1930年代に入り合法的・個別的・経済的な小作争議としてその様態が改まった。1920年代に革命運動に身を投じていた植民地の社会主義者たちは、1930年代の中頃に‘農政統計を根拠とした知識論争’を巻き起こした専門家として、その属性が転換した。なぜこのような事態が起こったのか?はたしてその政治的な意味とは何なのだろうか?
この問題を解き明かそうと歴史的にいくつかの試みが行なわれたが、成功したとは言い難い。まず、植民国家の暴力と抑圧性に注目した研究からは、1930年代の小作争議の大部分が「朝鮮小作調停令」(1932)、「朝鮮農地令」(1934)などの法的な手段によって発生し、解決されたという事実を十分に説明することができない。次に、マクロ経済指標を根拠とし、植民地経済の実質的な改善を主張する研究は、それが‘民族社会’に与えた影響を十分に説明することができないという点より、限界が明らかである。最後に、植民地の農村社会に組合主義論を適用し、リーダーシップの交代と‘葛藤の制度化’に注目した研究は、リーダーシップが実際には強固ではなかったという反論に直面しており、葛藤がどのように制度化されたのかという、そのモメンタムを十分に説明できていない。 本研究は、植民地の農政に内在する‘認識暴力’の問題を分析することで、この質問に対する答えを提示しようと試みるものである。本研究は、日帝植民地下の朝鮮において、植民国家が立法、調査、そして統計を通じて強制した‘認識体系’と、これに対する植民地の知識人たちの批判の痕跡を発掘し、分析した結果物である。 本研究は、‘知識生産様式’(mode of Knowledge production)の分析という研究方法論を新たに提示した。これは知識生産の前提、即ちアプリオリ(a priori)を系譜学的に追跡し、解体するものである。知識の生産過程で活用される理論、資料、方法といった各々の参照体系(references)を明らかにし、その‘移植と変容’、または‘連鎖と専有(appropriation)’の痕跡を発掘する。そして、このような一連の知識の実践が産んだ政治的な結果を確認する。研究結果の概要は次のようである。 まず、旧韓末の植民権力による農政の実践は、明治期の近代日本において作られた‘小作’の概念を強制的に移植し、この概念の範疇に基づき既存の土地習慣を分類、調査、記入(inscription)することより始まった。この過程において、朝鮮の伝統社会の土地賃借に関連する異質的な権利が‘小作’という概念に捕捉され、‘均質化’された。伝統社会で分割所有権の性格を備えていた権利、または継続して伸張してきていた耕作者の権利は、植民国家の立法と調査の実践によって否定され、剥奪された。このような権利は、植民者(colonizer)が強制した‘小作’の概念によって、単純な債権的な土地の賃借や、『明治民法』(1898)によって規定された永小作によって弱体化された。あわせて、このように構成された植民地朝鮮での土地賃借権の法的地位は、登記などの実質的な実現の事例などから確認できるように、日本のそれと比べても非常に劣悪なものであった。 朝鮮統監府(/韓国統監府)以来、朝鮮の土地慣習に関する調査を主管したのは梅謙次郎博士であり、彼は『明治民法』の立法を主管した三人のうちの一人でもあった。梅は朝鮮の慣習に基づき、その法を作るといった立法構想を持ってはいたが、この構想において法源となる慣習が、実は‘取捨選択された慣習’であるといった真実を隠蔽する政治的な実践に過ぎなかった。『民事慣習回答彙集』の分析を通じ、植民国家が‘取捨選択した慣習’によって裁判を進めるといった事実、そして『朝鮮高等法院判例録』の分析を通じ、実際には植民地朝鮮で『明治民法』の慣行化が進んでいたという事実が明らかになった。このような政治的な実践を通じ、‘小作’の概念が植民地社会に強制的に移植されたという事実は忘却、隠蔽され、そして‘小作’の概念は自明であり当然なものとして自然化された(naturalized concept)。 このような一連の事態がもたらした政治的な結果は、多少両価的(ambivalent)であった。一方でそれは伝統的な権利関係が解体され再構成される過程であったが、もう一方ではこの過程で近代的な意味の‘小作階級’が誕生したのであり、これによって1920年代以降に本格化した‘小作階級の政治’も可能だったのである。この段階で‘小作’の概念は、植民地の農政のアプリオリ(a priori)に転換してしまい、質問が透過することのできない‘認識論的障壁’として固着した。植民国家の農政は、まさにこの‘認識暴力’(epistemological violence)の上でこそ成立することが可能だった。 次に、植民国家は、帝国-植民地間の非対称的な権力関係によるいくつかの植民地の社会問題、特に1920年代の小作争議の拡散と急進化に対処するために、大々的な小作慣行調査を実施した。その成果は『朝鮮の小作慣行』(上/下、1932)に収合され発刊された。この報告書によって、(1)植民地朝鮮の地主-小作関係は、簡明な統計値で計数化され、社会葛藤の戦線は現場から法の制定と統計を廻る論争の場へと‘転移’された。これにより、1920年代の非合法的、革命的、集団的な小作争議は、1930年代には合法的、改良的、個別的な小作争議へと転換された。これは植民地朝鮮で、‘知識国家’の権力効果が作動していることの兆候といえる。また、(2)‘不在地主’と‘小作地管理人’が、植民地の農政跛行の主犯として範疇化された。これらの集団は‘社会悪’として焦点化され、植民国家のイメージは主権次元の敵から、これら‘社会悪’を規制し葛藤を調停する社会経済的次元の調停者に転換された。最後に、(3)植民国家の‘自作/小作の二分法的認識体系’が一層強固となり、「自作農創定事業」に代表される農政事業が正当化された。要するに、『朝鮮の小作慣行』は、‘小作’の概念に続き、1930年代の植民地の農政の認識体系を規定するもう一つのアプリオリ、すなわち、‘認識暴力’であった。 このような小作慣行調査は、1921年の日本において施行された小作慣行調査と調査項目、質問事項、整理項目など、多くの部分において一致しており、したがって、ふと見ると植民地での‘反復’に過ぎないものとして評価され得るだろう。しかし、調査の結果が公開された後、植民地の‘民族言論’によって、不在地主と小作管理人が植民地の農政疲弊の直接的な原因であると同時に‘公共の敵’であると指目されるに至ったことは、予見することのできなかった新しい事態だった。また、1921年の日本の小作慣行調査の結果に基づき立案された日本の小作法案において、小作地管理人に対する規制条項が全く無かったのとは違い、『朝鮮の小作慣行』を基礎として制定された「朝鮮農地令」(1934)では、小作地管理人に対する強力な規制条項が備わっていた。結果的に、植民国家は民族の主権を奪い取った敵としての地位から、社会経済的な次元の規制者・調停者の地位に移行したのであり、植民地社会からの直接的な非難の標的から外れるといった予想外の結果が発生したのであった。これは朝鮮小作慣行調査と『朝鮮の小作慣行』が備えた植民地的‘特殊性’として評価することができる。 また、この様に‘自然化された小作概念’と『朝鮮の小作慣行』の権力効果は、植民地の知識場において強力に作用した。植民地朝鮮の社会主義者たち - 朴文圭(Park Mun Gyu)、印貞植(In Jeong Sik)、朴文秉(Park Mun Byung)など - は「朝鮮社会性格論争」を通じ、植民国家とその知識機構が構築した一方的な農政談論を批判した。ただ、これらの批判作業は、植民国家が構築したアプリオリの上でのみ進行されており、‘小作’概念の認識論的な障壁を越えることができず、『朝鮮の小作慣行』より得られた計数化された社会関係を、むしろ主張の根拠とした点より限界が明らかであった。彼らはこの‘統計論争’を経て、革命の主体から改革の主体へ、革命家から専門家へとその主体属性が転換された。これは‘植民地アカデミズム’が構成され出現する過程として、この中で植民地の知識人たちはアカデミズムの‘検閲’を内面化し、脱革命化したのだった。 しかし彼らはこの転移した闘争の場にて暗中模索し、しつこく理論闘争を展開した。これらは「日本資本主義論争」において駆使されたマルクス主義の理論と方法論を‘専有’し、植民国家が作り出した公共統計(official statistics)を再解釈したうえで批判し、植民国家に対する‘敵対性’を復元した。「朝鮮社会性格論争」にて植民地の知識人たちは、単純に東アジアのマルクス主義の‘理論的な結論’のみを持ち込んだのではなかった。驚くべきことに彼らは、その短い時間のうちにその批判の方法、即ち‘耕作規模の零細性=小農不在論’(講座派、封建派)と‘生産性’(労農派、資本派)の基準を植民地朝鮮の状況に合わせ‘専有’して批判の文法を創出し、‘収支が合わない農家’などの新たな範疇を構成した。彼らはマルクス主義の理論を無分別に受け入れた‘一級の理論受容家’ではなく、これを徹底に内面化し専有していった者たちであった。植民国家が生産した統計の‘範疇’を批判すると同時に、その統計資料をもう一度自身たちの主張の根拠として見事に活用するその理論的‘専有’行為こそが、その証拠である。これを通じ、植民地の知識人たちは植民国家が強制した‘自作/小作の二分法的な認識体系’の虚構性を暴露することに成功した。 最後に、植民地の知識人の理論的な成就はより一層進展し、「朝鮮社会性格論争」の当事者の一人である印貞植の場合、植民地朝鮮全体の細分化された土地生産性の指標を、自身の手で作り出す段階にまでおよんでいた。印貞植はこの過程において、それ以前の‘耕作規模の零細性’の基準を廃棄し、新たに‘土地生産性’の基準を採択した。彼はこの生産性の基準を通じ、日本-朝鮮-中国を比較し、‘東洋農業’の分析において既存の歴史唯物論(‘アジア的半封建’論)を廃棄し、アジア的生産様式論(‘停滞社会論’)へと転換した。これら一連の理論的展開は、その政治的転向(1938)と合わせて起こった事件であった。即ち、知識生産様式の観点より見ると、その政治的転向は理論的転回と同時的に発生した事件であった。 印貞植は‘土地生産性’の指標を朝鮮内部に対する分析より導出したが、日中戦争が進む過程で、その比較の視線を日本-朝鮮-中国間の関係として拡張した。印貞植は、日中戦争を‘文明(日本)対停滞(中国)’の戦争と解釈し、他者に対する帝国主義の不当な暴力を幇助し、これに賛同する道へと進んだ。印貞植によって帝国主義の不当な暴力によって犠牲となった隣人の存在は無視され、その戦争は‘朝鮮’というネイション(nation)の‘発展’の契機としてのみ意味付けられた。その‘土地生産性’の指標は、この様な‘亜-帝国主義’(pseudo-imperialism)の論理を正当化する‘科学的根拠’として活用された。 しかし、この過程において印貞植は‘朝鮮’の歴史的地位を、彼が日本に適用した歴史唯物論(‘アジア的半封建’論)や、中国に適用したアジア的生産様式論(‘停滞社会論’)のうち、どちらか一方を選択し再現することができない、いわゆる‘二重束縛’(double bind)の状況に陥った。特に、印貞植に‘アジア的生産様式論’を直接紹介した京城帝国大学の教授であった森谷克己は、朝鮮がその理論の適用を受けると重ねて言及していたが、印貞植はこれに対し正確に応答することができないといった窮地に立っていた。これは彼の理論的失敗を見せてくれる証拠であり、彼がこの理論的失敗を正面より見つめることを放棄し、帝国主義の侵略の同調者になったことを根拠として、我々は彼に対し‘転向’の政治的責任を問うことができるであろう。 要するに、1930年代の植民地朝鮮の農政は、植民国家が立法、調査、統計を通じ構築した認識体系の権力効果によって急速に安定化された。植民地の知識人の談論生産も、この認識体系の影響のなかでなされた。ところで、ややアイロニカルではあるが、現在の韓国の学界での「植民地近代化論争」は、1930年代の「朝鮮社会性格論争」と資料、方法、論理の側面より極めて同型的な様相を呈している。この点は、植民国家が生産した資料によって前提とされている概念、範疇、計数化の権力効果を十分に凝視しなければ、批判的な植民地研究の道のりが遥遠たることを示唆している。 キーワード: 農政, 統計, 知識生産樣式, 知識国家, 認識体系, 認識暴力, 小作, 小作爭議, 慣習, 慣行, 民法, 朝鮮民事令, 朝鮮小作調停令, 朝鮮農地令, 社会性格論爭, 社会構成體, 朴文圭, 印貞植, 朴文秉, 梅謙次郎, 野村調太郎, 津曲藏之丞, 久間健一, 山田盛太郎, 森谷克己, Karl Wittfogel, アジア的生産樣式論, 京城帝國大學, 轉向 Interpreting the Legislation of Agricultural Policies and Statistics of Colonial Korea through Knowledge State Theory: Focusing on the Implantation and Transformation of Imperial-Colonial Knowledge System Kim, In-Soo Department of Sociology Graduate School Seoul National University This study begins with the following question: Why did agricultural politics in

발행 정보

2013. 서울대학교 대학원 국내박사 학위논문